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平成31年2月12日 障害者差別解消法って?

この法律、正式名称は、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」です。聞いたことありますか?

 

「私たちの心の中には、『相手を尊重する心と、馬鹿にする心』があるのです」このどちらが働いているかだけなのです。もちろん、イチかゼロみたいな単純なものではありませんし、固定したものでもありません。

例えば、Aさんに対して、『相手を尊重する心』が1の強さで働いていたとして、きょうは10になるかもしれません。それが明日は、『馬鹿にする心』が強まり、100の強さで働いてしまうかもしれません。

昨年の出来事から上げるなら、4月までなら日本大学常務理事だった、そしてアメフト部の監督だった人を「内田さん」と呼称したでしょう。それが、今は、「あの内田だろ」と、呼び捨てされてるかと思います。また、レオパレス21の社長も「深山さん」から「深山」になっていくのかもしれません。

こういうことは、日常的なことであり、誰にでもいつでも起こりうる心の動きなのです。そういう動きやすいにも関わらず、あまり動かないケースがあるのです。それは…

障害者、犯罪者、浮浪者、ホームレス、女、子ども、認知症者、黒人、外人、貧乏人、部落民、ぶす、デブ、ちび、はげ、バカ、etc..

これらの枠組みにくくられる人たちは、『馬鹿にする心』で、ほとんど自動的で、しかも大きくマイナスに見られてしまっているのです。これを否定する人はいないかと思います。どうですか?ただし、誰をどれくらいマイナスに見るかには、個人差があります。

この反対、自動的に相手に『尊重する心』が働いてしまう枠組み、肩書きとしてもいいでしょう、の人は誰でしょう?坂本龍馬ですか?ノーベル賞受賞者ですか?これはどうぞご自分で考えてください。

ここからは、話を障がい者に絞ります。
人を見るとき、『尊重する心』と、「馬鹿にする心」のどちらが優位に働くか?で、その人の人格がある程度判断できると私は考えています。もちろん、いつでも誰にでも『尊重する心』が働�く人ほど人格が高く、『馬鹿にする心』が働く人ほど人格が低いとなります。私たちは、誰でも『尊重する心』と『馬鹿にする心』の間のグラデーションで相手をほとんど判断してしまっているのです。いいですか、このことを踏まえておいてください。

障がい者を馬鹿にする人は、人格が低いとして、何か問題ありますか?
では、馬鹿にされた障がい者が、馬鹿にした相手を憎んだり、恨んだりした場合、その障がい者は人格が高いでしょうか?

ここ、とても大切なことです。よく考えてください。人を憎んだり、恨んだりすることは、人格の高い人のすることでしょうか?

そしてもう一歩踏み込みます。
障がい者である自分自身を自分自身で憎んだり、恨んだりしていませんか?目が見えないことに対して文句を言ったり、動かない手足に対して苦情の気持ちを持ったり、心臓の病気に対して腹が立ったり、自分で自分を「だめ」と言ったり、「ばか」と言ったりしていませんか?このような気持ちを持つようになった原因に、他人から受けた不当な差別があったかもしれません。あったかもしれないとして、それは人格の未熟な人なのです。その未熟な人格の人を『尊重の心』で見ていないということは、どういうことですか?ということです。それは差別した人を差別しているに他ならないわけです。

話を戻しましょう。自分の障がいを不満に思うは、即ち、自分で自分を差別していることになるのです。人からの差別をどうこう言う前に、自分で自分を差別してしまっているということです。

『馬鹿にする心』の反対は何ですか?
『尊重する心』です。まず、自分で自分を尊重しなくて、誰が尊重してくれますか?そして尊重するという具体的な言動は何ですか?それは、『褒める』ことじゃないですか。それは『好き』になることとも言えるでしょう。

皆さん、如何でしょうか!!

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