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平成31年1月29日 障害者差別解消法って

この法律、正式名称は、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」です。聞いたことありますか?

 

産業革命を聞いたことありますか。欧米を中心として18世紀から19世紀にかけて起きた、産業の急速な変化とそれに伴う社会構造の変化のことを指しています。日本は、およそ1世紀遅れて明治維新以後にありました。

それがどうしたの?と思うかもしれません。ざっくりと説明しましょう。

会社は、一定の品質の商品を大量に安く作らなければなりません。そのためには、一定の能力を持った人をたくさん使わなければなりません。としたら、社長は、できるだけ社員の能力を高く一定に保ちたいと思いますよね。ここに必要なこと、それは「同じ能力を持った人をたくさん、いつまでも欲しい」です。

日本は、明治維新で開国してみたら、欧米列強の国々との圧倒的な差に驚異すると同時に、国を強化する必要に迫られたのです。そしてこのニーズに答えたのが、教育システムだったのです。と、同時に、教育で育ってきた「同じ人」のために、全てのインフラの整備が始まりました。

これに答えたのが、建築土木業界でした。そして、そのことのために法律も整備されていったのです。明治、大正、昭和、平成と時が流れていくほどに、ばらつきの少ない、均一な人たちが大多数を占めるという国ができあがっていったというわけです。まじめな国民性は、あっと驚く短期間に、このニーズに見事に応えていったこと、おわかりいただけたでしょう。

能力のばらつきの少ない、つまり個性を持たない均一な大人は、特に男子は、会社の戦力となるべく労働者として就労していきました。それが顕著になったのは、戦後です。今の日本は、明治維新によって形作られた『意図」が結実したものとして問題ないこと、分かっていただけたでしょう。

明治より前は、個性はばらついていることが普通。今は、同じ顔をした、同じ服装をした、同じ人々の暮らす国になってしまいました。このことを念頭に置いて、私たちは、『人間の集団の中から、異質な人を排除する性質を持っている』を今の�社会に当てはめるとどうなるでしょう?

個性のばらつきがあれば、それほど障害者の異質さは、目立ちません。
個性のばらつきのきわめて少ない今は、障害者と健常者の間に明らかな溝があります。この広くて深い溝は、障害者を異質と確信させるに全くむりがありません。と、同時に、健常者の中からも、少しでも外れる個性を持った人は、排除の憂き目に遭いやすいのです。

それを「落ちこぼれ」と言った時期がありました。今は「いじめ」と言います。「引きこもり」も原因にこういう力が強く関わっていると思われます。分かりますか、均一な国民性が生んだデメリットとして良いでしょう。

ここでちょっと余談。
近代日本の街作りは、猛烈社員に代表される人たちのために作られてきました。それが大多数のための正しい方法と戦後強く信じられたからです。会社人間のために国を挙げてやってきたとしてもいいでしょう。

ですからそこにバリアフリーなどかけらもありません。主流を走れる者だけが正しく、そこから逸脱する者は捨てられて当然という思考もそういう背景から自然に広く深く浸透していったものと思われます。

昨年、外国人労働者受け入れ論議がありました。
外国人を、 日本語をきちんと仕えない言語障害者、日本文化を理解できない、あるいは壊してしまう認知障害者は、けしからん。そのような障害者を許さないと、言っているようにも見えたのは、私だけでしょうか?

これもまた、どこに行っても、どこを見ても同じ顔をした人しかいない、均一性が深く関わっている、そんな気がします。

日本の教育で日本の文化を常識という形できちんと身につけた、社会の主流派だけが許され、それ以外は規格外であるといっている、ある種障害者は差別せよと言っているのと、全く変わらない話を国会でも、メディアでも、そのあたりの井戸端会議でもやっているように見えたのは私だけでしょうか?

少し話を飛躍させてしまいましたか?人の多様性を認めるという基本に置いて、それほど外れているとは思っていないのですが..。

個性を認めよう、人の多様性を受け入れようは、日本�人お得意のたてまえで終わってしまうものなのでしょうか?

 
どうか皆さん、今一度考えましょう!!

 

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